1997年3月14日にシェリーエリヤ使徒に下される。
(次の御言葉は予言105の一部分です。ヤハウェからこの御言葉をこれから全ての予言に入れることを仰いました:
エリザベスよ、私は貴方にずいぶん前このミニストリーの名を男や女の名を従って付けるなと注意をした。私がそれを貴方方の霊に入れたのだ。これは、どれ一つも貴方の手で成せたことが無く、どれ一つも貴方の口から出たことも無い。このミニストリーはヤハウェの口から生まれてきた。ヤフシュア貴方のマシアック(救世主)の口から生まれてきたものだ。ルアフ・ハ・コデッシュ貴方のイマヤ(IMMAYAH)の口から生まれたものだ。もし貴方の手だけで成ろうとしてたならば前々に失敗したのであろう。それはこの世を貫く復興の聖なる風であるシキニヤの栄光の風によって成したことで、貴方の呼吸で成したことではない。そうだったら失敗したのであろう。(イザヤ42:8))
2010年7月にヤハウェから全ての予言の前に歴代下に出る御言葉を追加するようにとも仰いました:
歴代誌下36:16「彼らは神の御使いを嘲笑い、その言葉を蔑み、預言者を愚弄した。それゆえ、ついにその民に向かって主の怒りが燃え上がり、もはや手の施しようがなくなった。」
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私はルアフ・ハ・コデシュの方言で祈り始め、その次に私が知ったことはヤハウェから私に油を注いでいらっしゃるということと下のようなお知らせをお与えいただいたということです。たとえ私は、それはダニエルだけのためのものだと思いましたが、それは多くの方々のためのものということが判明されました。皆さんから下記の文を読むことで福を受け、ルアフ・ハ・コデシュから皆さんへお見せになられていないのかを見てください。それがまた皆さんのためのことです。
“私はいつ貴方を使おうか?”という時に、貴方方が私の顔を探し続け、私を求め続ければ、この予言は正にそういう者のためのものである。貴方方がこの予言の中で私の音声を聞くならば、その時貴方方の、私の息子たちと娘たちがこの知らせを聞く者である。私の霊はこの知らせが貴方方のためのことなのかを貴方方の中で確証するであろう。これは、それが貴方方の中にある霊に証拠するであろう。他の全ての者たちは聾者になるであろう、それが彼らにはただ言葉だけであろう。彼らはこの女の僕を通じて本当にヤハウェから仰るのか疑うであろう。貴方方がこのように感じたならば貴方方が正しいのである、それは貴方方のためのものではなかったのだ。
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私の一番愛する子供たちよ、貴方方は隠された宝のようで、彼らが弓を見る時にだけ貴方方は隠された矢筒のようだ。私が貴方方を使って強く言い、貴方方は貴方方の姉妹がやっている事、迫ってくる審判に対して警告することをするであろう。また貴方方も塔の上にいる番人である。エリヤが行ったように天から標的を見るが、これは貴方方が警告を受け、次にその警告を他の者たちに伝えるであろう。私の子供たちよ、私は貴方方に油を注ぎ私が貴方方に与えた恩師を分けるようにした。私が貴方方に「しなさい」と教えた方法通りにすることにおいて、貴方方は確信を持つことができなかた。しかし、今日予定した故、貴方方は私の女の僕に会い、彼女の恩師と貴方方の恩師は一つになった。貴方方が互いの恩師を火が燃え立つようにした。これは偶然ではないことを考えるであろう、これは貴方方が私の霊の中で一つということだ。
貴方方の中にある私の言葉は火炎剣のように燃える。両刃を持つ剣は深く切るであろう。たくさんの火が貴方方の中に閉ざされており、それで何をしなければならないのか分かっていない。それを言い始めなさい。私の言葉は私にむなしく戻って来てはならない。その言葉が行われるように、私が言ったことをしなければならない。私は隠密に貴方方にたくさん言った、貴方方は他の者と分けなかった。今はラッパを吹き、嘲弄して無視する者たちに迫ってくる滅亡に対し警告する時である。しかし従順して謙遜に私の顔を求める者たち、私の音声に耳を傾ける者たちには祝福の時間であり、私の羊は私の音声を知り見知らぬ者には行かない。全然恐れることはない。
死亡が彼らを囲んできても貴方方は彼らに言いなさい。私の所有である者たちに害することはできなく、彼らが殉教者たちならばその血が地の中に入り、前にはサウルだったがパウロになったことのように、パウロのような者たちとステファンのような者たちをたくさん懐胎するであろう。貴方方はステファンと同じである。貴方方は私が隠した秘密武器である。もう一度私が言う、貴方方は私の音声を知り貴方方が私の預言者の中のまた別の者から今夜確証した。貴方方は既に接触した者たちに強力に使われるようになり、使われている。小さな始まりを蔑視してはならない、強いクヌギでも小さな種から始まるのである。貴方方は儀、私の儀の強いクヌギのようだ。貴方方は驕慢で膨らんではならない、それを許容してもならない、貴方方の力でしようとするだけで私はその鼻柱を折る。私の前では謙遜だった貴方方を私は余りにも愛する、これは私は貴方方が遅い時間まで勉強することを見て、私は貴方方の寂しさと貴方方が属したところで驚くことを感じる。
敬虔な者の足跡はヤハウェが予定する。私の足跡を追い続け、他の者たちを私まで導きなさい。私の足跡を追い、他の者たちをカルボリの木まで導きなさい。私の足跡と追い、他の者たちを天国の門まで導きなさい。人が貴方方を仕込んだのではなく、私が貴方方を仕込んだのだ。人が貴方方を予定したのでなく、私が貴方方を予定したのだ。貴方方は私の隠された宝で、私の隠された武器であり、私がこの最後の時期に貴方方を強く使い始めるであろう。騙されるな。彼らはただ最後の時期に生存している。だが私の子供たちには最後ではない、彼らには驚きの新たな始まりである。
帰郷が起こり、宴会場の周囲に集まってくる私の全ての子供たちを見なさい。
そうなのだ。私の息子と娘たちよ、貴方方が知るか考えたそばからその宴会場の周囲に集まるであろう。まず秋の取り入れの時に集まり始まるであろう。取り入れするものは多いが、働き者は余りにも少ない。私の福音を伝播したが、もう彼ら自身の福音を伝播する使役者たちを私が聞く時に嘲弄が更に大きくなる。彼らは自ら神と呼んでいる。私は彼らに父ヤハウェからどのような方なのかを証拠するであろう。彼らが常にこれを教えたことを後悔することは、多くの者たちがこの嘘から堕落していったことだ。多くの者たちが死んで、彼らは私に会うことが出来ないことに驚いた。代わりに彼らが見たものは悪の者である。だから騙されるな。私が簡単に嘲弄されることはない。貴方方が一時期信じていたあの霊的指導者たちは多くの嘘を言っている。彼らは彼らが知っているもので責任を負うであろう。彼らは反逆を説教し、それに福音という名を付けた。私が貴方方に言う、彼らが強力な方法で代価を支払うであろう。これは、彼らは私のことを父と呼ぶが実には私が誰なのか知りもできない。だが貴方方の私の息子と娘たちは私のことを知っている。私が私の女の僕に与えた予言の知らせからの私の音声を気付く者たちは私のことを知っている。
私の羊は私の音声を知るであろう。彼らが聞く不慣れな者の音声が、過去に貴方方が彼らを信じていた所で尊敬される牧師や霊的指導者から来るとしても、もうこれ以上はそうならない。貴方方の霊的指導者として人を見るのでなく、ヤフシュアだけを見なさい。これらの霊的指導者たちの言うこととヤハウェの聖なる御言葉と一致したのか、それとも彼らがそれを人の形象に的中するように押し曲げたのか。貴方方はルアフ・ハ・コデシュに帰らなければならない、聖霊が貴方方を真理で導き、貴方方に霊的な目と聞く耳を与えるであろう。ルアフ・ハ・コデシュからもうこれ以上何も仰らない時までのみ指導者を信じよ。多くのミニストリーが正に貴方方の前で倒れるであろう。今はこの年の始まりであり、私が予言したことが起き、より多くの者たちが今年が終わる前に倒れるであろう。倒れたミニストリーや使役者たちに対し悲しむでない、彼らは警告を受けていた故。
欺かれてもう私を信じることを止めた羊たちに対し悲しみなさい。羊らが狼の洞窟に向かって行くゆえ、羊に対し悲しむことは彼らが羊の仮面を被ったゆえ彼らが羊らを飲み込むであろう。痒い耳により敵の陣営に散らばれるゆえ彼らが羊らを飲み込むであろう。私の子供たちよ、貴方方の耳を気をつけなさい。貴方方の目を気をつけなさい。方言の言葉に騙されるのでない、それは蜜のように優しく聞こえるであろう。それを言葉にする霊を分別しなさい。貴方方の目で分別しなさい。それがヤハウェの御言葉と一致するのであるか?ふむ、「私はとても沢山勉強した」「私が新しき予言を受けた」と彼らが思うか?その予言は貴方方を私にもっと近く連れて来られず、貴方方を私から遠ざけるものだ。真の霊的導き者は貴方方をもっと近く連れてきて警告し、応援と力を与える。真の霊的指導者は驕慢で自惚れたりしない。
彼らは自分が神でなくその上小さな物でもないことを知っている。彼らは彼ら自身が誰なのか知っている。彼らは鼻と目と耳を持つ私の形象で作られた。速く鏡を見なさい。形象が何なのかが知れる。この愚かな教師たちが貴方方を横道へ導かないようにしなさい。貴方方は養子になったのだ。私にはただ一つのイエスキリストだけがいる。そうではないか?だが貴方方は養子になったが、私は私が私のイエスキリストを愛するほど貴方方を愛してる。他の者たちに私が今夜話したことを言うが、これは一人の者から始まったが多くの人のための言葉になった。私はヤハウェ、貴方方の父であり、どんな事でも無駄にしたりしない。むしろこの会話も既に予定されていたのだ。貴方方の出会いは既に予定されていた。
私が貴方方に言う、もうヤフシュアが自分の新婦のために行くであろう、ヤフシュアを望まない者たちは後ろに残るであろう!いつかヤフシュアが帰ってくるとは思わず生きて行く者たちは後ろに残るであろう。私のするべきことをして私が貴方方を呼び、「しなさい」と言ったことをしなさい。彼らが信じようが信じないが、それは彼らと私との間の事として置いときなさい。ノアの日に彼らが信じなかったように、ロットの日にも彼らが信じなかったように、この予言の音声が私の子供たちに言い、彼らが騙されるよう選択をされない以上私は彼が騙されぬようにする。
私が私の震怒の標的より多く送るほど、この知らせを伝える預言者に対しより大きく争いが起きるであろう。だがこのことを知るが良い。私の愛と慈悲によって私は常に預言者たちを送り警告させるであろう。私は誰も苦痛されたり滅亡されたり永遠の審判を受けたりすることを求めない。それ故もう一度喇叭の音を出しなさい。聞く霊的な耳を持ってる者たちは、私の音声をきっと聞くであろう、他の全ての者たちは聾と盲人で残るであろう。それが彼らがするべき選択であり、貴方方がするべき選択ではない。
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1997年3月14日この土製の器に下された。
お越しください。ヤフシュア様、お越しください!
使徒シェリーエリヤ